傷つけないこと。

シリアのドキュメンタリー映画
『それでも僕は帰る - シリア 若者たちが求め続けたふるさと-』

東洋大学で行われたプレス向け試写会にて、89分のフルバージョンを観てきました。

52分のショート版を観ていただいた方にも是非、フルバージョンも観て貰いたいです。

確かに辛いシーンは増えていますが、より詳しくて、わかりやすいとおもいました。

一般公開は、2015年8月1日(土)より渋谷アップリンク、中洲大洋映画劇場 他、にてロードショー開始だそうです。

https://instagram.com/p/4_3dFatf3p/

この写真はメインショットとして使われてるけど、映画の中でもとっても印象的なシーンで、絶望感と儚さと美しさがそこには存在していて、私が好きなショットでもあります。
左手に彼がもっているのは恐らくロケット弾銃なんですけど。

 

前にもこの映画について書いたので、重複してしまうところもあるかもしれませんが、もう一度、少し説明を。

主人公の19歳の彼は、バゼットというシリアのユース代表の大人気ゴールキーパーでした。

そんな彼が、ある日、そのカリスマ性で若者達を惹きつけ、平和を訴えるシンガーとして、非暴力の民主化運動のリーダーとしてデモを先導するようになります。

しかし、2012年 2月、アサド政府軍はそんな彼らに銃を向け、一般市民を容赦無く撃ち殺し、家族を失った青年たちは、自分たちの故郷や家族の為に、武器を持って戦いはじめることに…
サッカーボールを武器に持ち替えた青年の悲痛な叫び。

 

敵も味方も同じ神を信じて同じ神に祈る矛盾した世界・・・。

 

戦争の犠牲になるのはいつでもどこでも子供達や若者ばかりです。

https://instagram.com/p/4_5vEytf8p/

試写会後、フォトジャーナリストの安田菜津紀さんによる6月のヨルダンの難民キャンプ取材後の報告会がありました。

シリアはつい数年前は、女性が1人でバックパック旅行をしても安全と言われる美しい国でした。
その頃はむしろ、イラクの難民を受け入れていた国です。
それが内戦により、1000万人が難民となってしまった。
国民の2分の1が難民という異常な状況です。

想像しただけでも辛いですよね。

家族がバラバラで収容されてしまうケースの事情、難民キャンプの運営は2万人が限界と言われているのに、例えばザータリ難民キャンプの場合、その面積に7万人も収容されていて インフラが追いついていない現状など、私たちが日本で、ただ暮らしていたら、知り得ない情報をたくさん教えていただきました。

 

また、子供だけヨルダンの病院に入れられ、家族はシリアに残されるというパターンなどといった形で家族がバラバラになって収容されてしまうというのが多くあるとのことで、その場合の理由としては、シリアからヨルダンへ国境を渡る際に、ケガをしていないと国境を越えられない場合があるとのことなのです。

なので、子供がケガをしていて親が無傷の場合、子供だけが国境を渡り、ヨルダンの病院で治療を受ける・・・というようなことになります。

 

難民キャンプの他に、上記のような病院に収容されたり、アンマンなどのアパートで暮らす難民の方々もいらっしゃるとのことで、例えば、シリアにいた頃は、勉強が大好きで学校ではいつも一番だった少年は、アンマンのアパートでお母さんと暮らし、彼の日課は毎朝、ゴミ捨て場に行き、ゴミを漁り、パンやプラスティック容器などを回収し、それを売って生活費に充てる・・・など。

 

難民キャンプにおいては、キャンプの外での商売は禁止されているけれども、日々の生活のため、止むを得ず、配給された自分たちの食べ物などをセーブし、配給場所のすぐ横でそれを売って現金を稼ぐような商売をしているような家族も目立ち、キャンプ内では最近では5番街と言われる闇市のようなマーケットもできているとのこと。

みんな、そこでそうして生き抜くために、知恵を絞ってそこで新たな生活の基盤を作っていっているそうです。

 

また、現在、ザータリ難民キャンプでは、子供達のために3つの教室がありますが、そこには電気もないそうです。

外から入る日光の光のみの薄暗い部屋の中で、机や椅子も足りない状態で、勉強をする子供達。家に帰ってから勉強するにも、テントの中で地べただったり。

そんな環境の中で、勉強についていけず、ドロップアウトをして、貴重な労働力として、生活をする子供たちも多いそうです。

 

また、難民キャンプでは、日本から来たと言うと、彼らはいつも笑顔で暖かく迎えてくれるそうです。

そして、嬉しいことに、彼らは口を揃えて、日本のような国を目指したいと言ってくれるそうです。

それは何故かというと、日本は 戦争で原爆の被害に2回もあい、無茶苦茶になったのに、こんなにも発展した国だから。

そして、どこも攻撃しない国だからというそうです。

どこも攻撃しない国。

それはいつまでも守っていきたい、日本が誇るべき、世界からの信頼条件の大きなひとつだと思います。

 

この後の懇親会では、色んな素晴らしい出逢いもあり、有意義なお話を沢山伺いました。

例えば、AAR JAPANという日本生まれの難民を助けるNGOの方々は、シリアからの難民の方々の支援をトルコの国境あたりでしているとのことなので、実際に、シリアの難民の方々は、IS(ISIL / ISIS / イスラム国)や自由シリア軍など、様々な組織の検問をくぐり抜けて、国境を越えてくるわけですが、彼らは、アサド政権の政府軍や、IS、自由シリア軍など、そこに混沌と混在する組織に対して、どう思っているのか気になったので、伺ってみたところ、やはり、あまりにもいろんな組織が混在しすぎて、敵の敵は敵だったり、誰が良くて誰が悪いかなどは、もうグチャグチャになってしまっているそうです。

 

ちなみにトルコの国境を越えてくる人たちの多くは、やはりこの映画のバゼットたちとおなじように、アサド政権の政府軍を悪と捉えている人が多いとのこと。

 

ただ、彼らに言えることは、自分たちが誰に自分の土地を最初に奪われたか、誰に家族の命を奪われたか、ひどい目にあわされたか、それによって敵が違うとのことで、ISのような過激な組織であっても、自分たちが直接の被害を被っていなければ、善とみなしたり、何が本当か、善悪の区別も冷静にはつかず、そんな混沌とした状況になっているそうです。

 

安田さんもおっしゃっていましたが、難民の方々に何が一番辛いか伺ったところ、

「アサド政権の弾圧は本当に苦しくて辛い。しかし、それ以上に辛いことは、自分たちが、世界に無視されていること。」

だと。

 

悪者が誰であっても、被害にあっている、無実の非暴力の人々が、辛い思いをずっとし続けて耐え続けなければいけない状況。

 

遠い国でおきていることだから自分たちには関係ないと、目を瞑っていると、いつしか自分たちのこの身に火の粉が降り注いでいたとしても、気づかずに、気づいたら火傷をして家事にあっている日がくるかもしれない・・・。

 

なんとなく・・・

彼らの国が、平和で美しい国であったからこそ、どうしても他人事とは思えない、そんななんとも言えない傷あとがずっと心に残っているのです。